ほっこりメモランダム

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シン・仮面ライダーに想う

(リスキリングとは全く関係ないが)

先週は、私にとって、いわば「シン・仮面ライダー」ウィークとなった感があるので、自分の備忘録的な意味も含めて、ここに書いておこうと思う。

正直なところ、つい先日までは公開日もはっきり認識していなかったぐらいで、期待レベルは低かった。しかし、劇場まで見に行ってよかった!と心底思う。その勢いで、NHKのメイキング番組を視聴し、出演者のインタビューやWikiなどの経歴を読み漁り、果ては他の出演作まで見てしまう始末だった。

庵野氏の「シン」実写映画という意味では、ゴジラは確かに面白かった。今となっては諸事情で公開当時劇場で観られなかったのが悔やまれるほど、部分的に見たのも含めるとおそらく両手以上の回数見たはずだと思う。

それに比べて、昨年のウルトラマンは、ゴジラが私のハードルを上げてしまったこともあるのだろうが、心のボルテージが同じところまでは上がらなかった。たまたま、ほぼ同時期に見た「トップガン・マーベリック」の方に軍配が上がってしまった感がある。

例えていうなら、ゼットンとの最終決戦でのモノクロシーンに「こりゃまんまトップをねらえだよ!」という興奮よりも、トップガンで「F14を本当に飛ばすんか!」というボルテージの方が高かったみたいに。

なぜだったのだろう。おそらくは、ウルトラマン=神永が外星人であるという設定が旧TVシリーズより強く表に出ていたことが、人間(地球人)ドラマとしては観客の感情移入を拒否する方向に働いたようにも、ライダーを見た今になってみると思える。

本題のライダーに戻ると、自分自身の中で前評価があまり高くなかった一つの理由は、仮面ライダーというヒーローが基本は「1人で戦う」ストーリーであることから考えて、ゴジラウルトラマンでのような「政府・お役人の群像劇」的趣向は馴染まないだろうし、何が「シン」たるべき要素となるのだろう、という疑問があったこと。

もう一つは、現代的にリファインしたライダーという意味では、劇場版で「仮面ライダー THE FIRST」があったこと。これすら、すでに20年近く前だったということに今回気がついて驚愕したものの、私自身の中ではライダースーツや映像描写など、かなり良い記憶として定着している。そのため、TVのオープニングを再現した予告を見ても、おーよく撮ったな、とは思うものの、そういうノスタルジーだけではねえ、とちょっと斜に構えていた。

実際に観た作品、この2点の懸念についてはあながち的外れではなかった。しかし、そんなことは些細なこととして凌駕する形で、私のボルテージを十分に上げてくれた。

ゴジラウルトラマンが多数の登場人物による群像劇の明るい面白さであったとするなら、ライダーは究極的には「本郷」「ルリ子」「一文字」「一郎」4人を主人公とする濃密なドラマの深い面白さ、ということができると思う。

3作を比較したときに、某岡田氏はライダー公開直後のYou Tubeで点数をつけるとゴジラウルトラマン>ライダーの順としていたが、私にとってはライダーは少なくともウルトラマンよりは確実に上であり、ゴジラとは、面白さが異なるため比較が難しいというのが本音であるが、あえて言えば同順位か。

3作ともに「シン」シリーズとしての細部に作り込まれた世界観が映画を支えているが、ゴジラ・ライダーはそのバックボーンとして人間や文明の「業」に関わるせめぎ合いが存在している分、ウルトラマンに比べてストーリーに厚みを与えているようにも思う。

二つだけ残念に思ったことがある。

ひとつは、プラント上空での両ライダーの格闘シーン。あのCGはいただけなかった。ウルトラマンの時にも思った部分でもあるが、この作品では非CGのアクションシーンへの魂のこもりかたが半端でないこともあり(ドキュメンタリーがそれを裏付けていたが)、その落差が悲しく感じた。

もうひとつはサソリオーグのパート。役者・演技・映像ともに良いのだが、ストーリーの中でどうにも浮いている気がしてしまった。もちろん、後の展開への伏線は含まれているのだが、サソリオーグのキャラの背景(動機)が全く見えなかったこともあり、なんともご都合合わせに感じてしまった。再見したらわかるのだろうか。

それを除けば、オールドファンのノスタルジーも十分に満足させつつも、それに寄りかからないでもしっかりした濃厚な作品として大いに楽しめた。

あ、蛇足ながら、後ろからついてくるサイクロン、私も「かわいい」と思ってしまったが、どうして機械に対してこの語彙が頭に浮かぶのか、これも自分として驚きの一つだったかな。